昼夜を問わず計算を続けていた三台のパソコンのうち,比較的に速い二台が所定のタスクを終えたので,久しぶりに電源を落として帰宅した*1.思えば夏からずっと計算三昧だが,9月にWIN4号がダウンしたことが一度あった.西日が入る部屋*2で週末中計算させていたから,温度が高くなりすぎて熱暴走したのだろう.居室のある建物は省エネ仕様になっているから,午前10時,午後2時,午後10時に強制的にエアコンの電源が切れるので,部屋を冷やしっぱなしにすることは出来ないのだ.「WIN4号は知恵熱か,,,」と独り言をいって,ポスドクの頃を思い出していた.
ポスドク先は「実験するな」という研究室だった.そこで最初に言われたのは「始める前に考えよ」だった*3.結果を急がされることはなかった.もちろんそれは本人が引き受けることだから,結果を出さないことが許されている訳ではなく,結果が出なければ去れ,ということだ.生き残るために結果を求めるのは本末転倒だ,とHerr*4が思っていることを皆は知っていた*5.目先の結果を追いかけることは嫌われていた.その環境の中,自分が担当する最初のセミナーではこれから始める実験計画の厳密さを問われることが分かっていた.全ての時間を準備に割いて,言葉の問題も有ったから,一人になれる場所をさがして研究棟の屋根裏のコーヒー部屋で,ぶつぶつ言って練習していた.
私が大学院生の頃のセミナーは全て日本語だった.ポスドクを終えて就職した頃の研究室セミナーも全て日本語だった.その後しばらくして,留学生が来る様になってから,英語で行う様になっていった.現在の私達の大学院の授業も英語で行っている*6.ある日の夕方,スクリプトを書いてパソコンに計算させているときに,隣の部屋から英語で話す声が聞こえてきた.翌日の発表のためにTさんが練習していたのだ.
ポスドクになって初めてのセミナーの前日に40℃の熱が出た.これが知恵熱か,明日は大丈夫か,と一人で思っていた.倒れ込むように眠ると,翌朝には平熱に戻り,すっかり力が抜け,肝が据わっていた.
“専門家”として?
就職して数年経って実習にも慣れてきた頃*1,「そろそろ講義をしてみようか」と研究室の教授に声を掛けられて,英語で書かれた一冊の本を手渡された.「おおよそ男性と女性で1回ずつかな」といわれて,他の教員が長く続けていた骨盤の構造の講義2回分を引き継いだ.
その他の本もいろいろと読んで,学生の時の古い講義ノートを探し出して読んで,一ヶ月ほど準備して,臨んだことを思い出す.講義は良い出来ではなかったけど,その頃は学生と歳があまり離れていなかったので彼らの共感は大きかったし,間違ったときには気軽に突っ込みが入るし,私の方も自分の実力不足がよく分かっていたから垣根を作らずに対応できるので,一緒に講義しているような感じだった.けれども,そのレベルに留まるのは違うと思ったし,調べているうちにJournal Clubの練習のようで面白くなってきたり,ピースがはまって自分の理解が深まる過程や,それを講義で伝えることは楽しくなっていた.理解が進むと骨盤周りの剖出の手際も良くなって実習の作業もはかどるようになり,その経験を講義のなかで話すことが出来るようになった*2 *3.
講義を始めてから数年たった頃,実習の最中に一人の学生から,割とマジな感じで「骨盤の研究って,どんなことするんですか?それってどんな風に役立つんですか.」と尋ねられ,一瞬,何のことか分からず,ポカンとしたが,(骨盤の研究してねーよ)とむげに否定するのはプロの態度ではないと思ったので,「ま,まあな」と,その時は取り繕いごまかした.それからどこでどう伝わったのか「iさんは骨盤の専門家らしい」と広まったようで,困惑したが,否定するのは大人げない*4 *5 *6.その点はしたたかに,状況を逆手にとって,実習中の与太話に「これ↑」を話すという持ちネタにしていた.
年月が過ぎ,教育をオーガナイズするようになってしばらく経つ.研究室の教員も経験を積んだので,Nさんに「そろそろ講義をしてみようか」と*7声を掛けて,骨盤の講義を任せた*8.いつか「骨盤の専門家」と学生に呼ばれて,彼が困惑する日が来ることを想像している*9.
障壁を乗り越える様式
発見を通じて理解を創造する仕事ほど素晴らしいことはないと,はじめは独りよがりに思い込んでいた.けれども,仕事のカテゴリーによって創造性の量が定まっているのではない.取り組む方法を選び,時に編み出し,適用し,障壁を取り除く様式の中に創造性はある.どんな仕事にも創造的な活動はあり,それを行うヒトはいる.
そして,どんなことの中にも,過程をスポイルして,目先のことに埋没する危険はある.ルーティンな仕事の中にも,科学の中にも,表面的な事柄に逃げ込んで,お定まりの中から出ることができずに,創造的ではないヒトになることはある.
科学と社会の他の活動は隔絶できず,私達は科学だけで生きていくことができない以上,システムの中で相互作用し,障壁を調節し,取り除く活動と無縁でいることは出来ない.科学は素晴らしいけれど,知らないヒトはいる.ビジネスを生業にしないヒトがその素晴らしさを知らないように.
他の活動と創造的に相互作用をした結果,障壁を乗り越えて手に入れたことの上にあぐらをかかずに,次のヒト達に伝えなければならないし,その機会は準備されている.
*1:計算は最後まで進んだ.けれども他の問題に直面している.
原因を探している
毎日,夜通し計算している.長い計算を終えたときには,シャットダウンしても20分ほどは静かにしてから,起動して,次の計算をするようにしてはいたが,最近,パソコンの挙動がおかしくなることが続いていた.世界の作成中にWIN3号*1が突然に止まり,使用不能になったり,WIN1号のCPUは動いているようなのだが,モニタがブラックアウトして操作不能に陥った*2.結果,WIN4号しか動かない*3.
Nさんに相談すると,やおらテスターを取り出し,WIN1号ケースのネジにリード棒をあてると,電位が25Vになっており帯電していることを見つけた*4.1号と3号の電源は同じコンセントから取っていたので,そのコンセントのアースの電位を確かめると11Vだった.4号が電源を取っているコンセントのアースの電位は1Vだったので,怪しいのはアースだろうと類推し,アースの電位を確認してコンセントを変えて,1号と3号を再起動し,やり直して計算をはじめた.
終わるのは36時間後なので,原因が分かるまで,しばらく待つことにした.計算は最後まで進むだろうか?
CajalとDeepL
医学科2年の水平・垂直統合型のActive Learning (AL) 科目*1のレポートについて,「現在レポートを書いています。調べていくうちに1つの仮説を書いた論文を見つけたのですが、スペイン語で書かれていて読むことができません。さらに調べたところその論文の内容をまとめたサイトがありました。レポートで引用する際にそのサイトの内容を参考にするのは大丈夫なのでしょうか?」
とKさんが質問したので,
「二次情報の引用はよろしくないです.一次情報を引用するべきです.
関連しますが,本質的で深い問題が未解決なとき,よくおきる低質で残念なことは,勉強不足なヒトの思いつきの雑で適当な言説が流通し,誤った理解をもつヒトが現れることです.皆さんは専門家になることを選んだのですから,気をつけるべきです.
証拠がない時にとる正しい態度は分からないことを明確にすることです.どの様にわからないことがあるか,というレポートには価値があります.」
と返事をした.どんな論文かをあまり想像せずに
「DeepLに頼むとおおよそ意味がわかりますよ.」*2
と付け加えたら,
「他の翻訳では意味の通らない日本語になってしまったのですが、DeepLを使用したところ、少しだけ意味の通る文章になり、読むことができました。ありがとうございます。」
と返事が来て,よかったよかった,と思っていたのだが,提出されたレポートで引用されていたのが,
Ramón Y Cajal. Histología NERVIOS ÓPTICOS, KIASMA Y CINTAS ÓPTICAS *3
だった.
厚さ5cmのIndexMedicusのページを捲って,豆粒のように小さな文字で書かれた論文リストを追い,図書館にたのんで一週間かかってコピーを郵送してもらっていたころがあったなんて,日本昔話*4のようだ.そんな事は分かっていたはずではあるが,Cajal*5の原文を自由に手に入れることができて,その内容を容易に知る事ができるなんて,凄い.科学をめぐる現状を全て肯定する訳ではないが,確実に良くなった環境はある.そこでは障壁は外界にあるのではなく,自分の中にある.
「Cajalの原文にあたったことは素晴らしいです.安易な結論に結びつけなかったことも良かったと思います.」とフィードバックした.