ギフトオーサーシップ

 

雪が降った


就職して数年した頃*1、他の大学から教授が来た。彼は私を呼んで、これから行う研究の論文には必ず自分の名前を載せるようにと言った。その頃はまだギフトオーサーシップと言う言葉を聞いたことがなかった。周りにはあからさまに共著を強要するヒトなどいなかった。悩んだあとに断った。
 現在のところに来て最初に言われたのが、オーサーシップの取引だった。これも断った。最近にも別の人から取引をいわれたことがあり、断ると長文のメールが飛んできた*2。freeに流通しているmaterialの提供を依頼したあとに別のヒトに同じ事を言われたこともあったが、これは無視した。他にはmaterialsを提供した共著者がcontributionの記載を"wrote manuscript"に*3変えたので、勝手をしないように言ってもとに戻した事があった。いづれのヒトも恥ずかしそうにするわけでもなく普通に振る舞うので、たいそう違和感があった。そんな人達の密度が大きい場所があるのだろう。けれども、そうではない場所があることも知っている。

 オーサーシップのことを考えると、いつも思い出すことがある。そこは自由に研究するところで、生き残るために結果を求めたり、目先の結果を求めることを嫌うところだった。そこには「自分のためにではなく、科学のために実験しているのだろう?もしも実験が上手くいかないのならば残念だが、力を尽くしたのなら悔いは無かろう。自分のために科学が変わる訳でもなし。」と言うヒトがいた。彼は私の共著者だった。

 

*1:20年以上前のこと

*2:ゴミ箱に入れてしまいたかったが、我慢してそのままメールボックスに置いてある。

*3:書いていないのに