例年,20余名の卒業生は初期研修を大学病院で行っているそうだ.それが多いのかそれとも少ないのかは別にして,臨床医学の教員はもっと多くの人に大学で研修して欲しいと願っている,と聞いている*1*2.
私の卒業した大学と,大学院と,ポスドク先と,アカデミアに就職したところと,そして現在の職場は,それぞれ別だ.それぞれはかなり違う.これは一つの見方でしかないが,学ぶ上で,または働く上で,ヒトは求めているモノ*3があって,それが与えられる環境か,それとも与えられない環境か.の二つに分けて考えることはできる.
与えられた後に与えるものだと思って,私はそんな場所を選んだ.経験したことはないので実感はまるでないが,最初に提供する側になり*4,後になって回収するという場合もあったらしい.同級生のほとんどは臨床医学を選び卒後すぐに専門的なコミュニティーに入り*5,臨床医のトレーニングを受けていた.私達が卒業した後、随分経ってから作られた臨床研修制度は,分散したコミュニティーを自由に選択する制度だが,その制度でも与えられる場所とそうではない場所があるのかもしれない.
求めているモノを与えられる場所にはヒトが集う.与えられるモノはいろいろである.優秀なヒトがニコニコして科学をすると,ヒトは自然に集まる.具体的なモノではないけれど,科学を行う幸せな環境がそこにあり,その雰囲気はヒトを惹き付けるには十分だ.私達のキャンパスには神経科学者がたくさんいる.
奪われる場所からは遠ざかる.与えられて育ったヒトはその後に与える側に立つのか?.奪われて育ったヒトは後に奪う側になり,回収を試みるのか?*6.