適応戦略として「空気を読む」について

実習の作業をしている合間に,「空気を読む」ことについて雑談したことが,気にかかっていた.いつの頃からなのだろうか,そんな表現を使うようになった.

 環境の下での,現象の頻度が増えてそれを表現する機会が増えたので,それに当てはめる言葉が使われるようになったのだろうと考えた.そうであれば,頻度が大きい背景には,環境の特徴とそれに伴ったヒトの行動様式があったと仮定できる.その仮定に基づいて考えれば,行動に影響を及ぼす社会的(個体間の)相互作用において,明示的ではない間接的で細やかな情報を重視することが,個体の利益がふえる環境があるためと考えることができる.

 さて,それは何だろうと考えて,一個体あたりに利用可能な資源の量,を考えた*1.相対的に少ない資源をめぐる情報の獲得競走を有利に進めるという行動様式の変更が現象の要素かな,と.

 そうすると,空気を読むことを,主体性が少ないとか,自分の意見を持たないとか,同調圧力が云々とかいう批判は的外れで,他者が自分に影響を及ぼすゲーム理論的状況下で細やかな情報を重視して行動の微調整を怠らないという個体の適応戦略なのかも.この戦略による適応度が大きいので,集団の中に占める頻度が増大している結果なのかも*2

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*1:「人口減ってんじゃん」という指摘には,資源の総量の低減が個体数の減少を上回っているのかも,ととりあえずここでは答えよう.

*2:これ,考える遊びだからね.遊び.