古くからの友人が病気で亡くなったので,遠くの街を訪ねて,最後の別れをした.彼とは小学校から大学まで同じ学校に通った.大学の進学先を別に相談したわけではないが,どちらかというと,私が彼の背中を追いかけていたかもしれない.
彼は大学2年の時に当時の難病の炎症性腸疾患(クローン病)に罹患し,40年近く闘病した.その頃は病気のメカニズムは不明で.内科的な対症療法と病巣の外科的な除去を繰り返すことを長く続けた.10年ほど前にメカニズムの一端が明らかになり,有効な治療法が見つかり,現在では治療できる疾患になり,生活は著しく改善したと彼は喜んでいたが,それまでに切除したものを取り戻すことはできなかった.
彼の苦しみは二つあった.一つは病気とつきあっていくこと.これを地道な研究(炎症性腸疾患とは関係ないと考えられていたtumor necrosis factorの受容機構の知見)が解決に導くことを予想できたヒトなど誰もいなかった.だから,基礎研究を役に立たないと決めつけることは危険で,目先の利益だけを追うことは愚かなことだ.
二つめは偏見だった.難病を抱えて研修先を探している時,病気を理由に(ヒドイいわれかたをして)(私と彼の母校では)いくつもの働き先を門前払いされたことを,彼の母親が教えてくれた.一つの教室が受け入れて励まして,彼の一生の仕事になった.有能で公平な個人の資質が問題を解決するだけではだめで,平凡でどこにでもいるヒトが公平で優秀な判断をおこなう環境があるほうが,効果を最大化するはずだ.