遠くを観るコスト

f:id:kapibarasenn10:20191201213612j:plain

休日の朝に,翌日の審査のために博士論文を読んでいたら,何となくつけていたTVから「近隣で競争しているではなく,世界で競争している」と話したのが聞こえ,画面を見た.(農場ワイナリーの経営者の話だった*1 *2 *3.)

 身の回りの不満や困難と小さな満足や報酬*4に留まって,日常に埋没するのはよくある事だ.目の前のことに気を取られて,広い視野を深く確保するのが容易でないのは,見えない*5ことを想像するには,多くの認知コストがかかるからだろう*6

 以前*7過ごした研究所で週に1回開かれるセミナーでは,その時々に最もインパクトの大きい論文を発表したヒトが招かれていたので,一番前に座った奴に後に座ったヒトが「今日の世界の最先端はお前か(笑)」と声をかけるお約束のジョークがあった.他の日に開かれる内部セミナーでも,その半年ほど後には影響力のあるjournalに発表される仕事が話題にされたものだった.その環境では,目の前で起きていることが最先端で,近隣で競争することが,世界と競争していることと同じだった.大学院生の頃,世の中に遅れないように図書館に通っていた*8私は,ほとんど論文を読まなくなっていた*9.院生の時に時間的空間的に直接に感知できない科学の最先端にアクセスするために払っていたコストを,そこではセミナーを企画する研究所が代わりに払ってくれていたのだ.

 けれども,研究所を離れた後でも,遅れる焦りに苛まれることはあまりなくなった.どの環境*10でも,それぞれのヒトは既知の縁に立って未知に直面していて,そこから踏み出すのは自分しかおらず,歩みの質と量は自分の能力だけで決まることを理解したからだ.地理的にどこにいるかとか,その環境に満足できないとか,生温いとか厳しいとかは,あまり関係ないから,気にする必要は無いのだよ,A君.

*1:ワイナリーには商業ワイナリーと農場ワイナリーが区別されるのだそうだ.

https://ja.wikipedia.org/wiki/ワイナリー

*2:

http://www.yamazaki-winery.co.jp/index.html

*3:

https://www4.nhk.or.jp/P6018/x/2019-12-01/11/17632/2383488/

*4:ここで報酬が指すのは「行動におよぼす強化」

https://ja.wikipedia.org/wiki/強化

のことで,「労働や物の使用などに対する金銭や物品のこと」ではありません.

*5:時間的に,空間的に直接に感知できない

*6:時間割引も同様

https://bsd.neuroinf.jp/wiki/セルフコントロール

*7:ずいぶん昔の話.けれども,その影響は時間が経ってもずっと続いている.

*8:当時はPubMedGoogle Scholarも無かったから,厚さ5 cmのIndex Medicusを捲るしか方法がなかった.

*9:読む必要が無かったのだ.

*10:最良の環境の研究所でも,ものにならないことは数多くあった.誰にも知られずに去る者も多かったのだ.