研究キャリアセミナーをやりたいと私のところへ相談に来たK君は「診断基準って何なの?」と呟いた.この一言は私を30年前に引き戻した.
臨床実習が始まり同級生達が生き生きとしたオーラを放つ中で,そうではない自分に気づいていた私は,その違いを探していた.臨床医学の授業でぼんやりと感じた気分が理由なのだろうと考えていた.臨床医学の授業は徹頭徹尾,疾患を話題にするのだが,病態・診断・治療のフォーマットに従って,多くの疾患が目の前を次から次へと通り過ぎていくのを,私は遠くから眺めていた.それに加えて,臨床医学の学ぶ内容は指数関数的に増え,10年前の知識は古くなり役に立たなくなる,と授業の中で繰り返し聞かされた.それはきっと正しいのだろう.けれども,すぐに古くなってしまう不安定な知識ばかりではないだろうと思った.それまでの基礎医学の講義で感じた体系性*1や動的な応用性*2のカッコよさに惹かれていた素朴な私は戸惑っていた.普遍的で輝き続ける事実と知識があると感じていた.
K君,あの頃から長い時間を経て,私はやっと「診断基準と診療ガイドライン」が必要な理由を説明できるようになった*3.私達が生きている時点において,それ以前の体系を入力として受け取って,新しい事実や価値を付け加えて未来に出力する,大きな時間軸の中に位置づけられる普遍的な活動がScienceであるとしたら,医療は現時点での目の前の困難と問題を解決する活動で,評価*4はその場で与えられる個別的なものだ.だから,医療の物語の中では,1つの卓越した才能は1つの個別的な問題の解決を行う *5 *6 *7.けれども,その様な個別的な解決だけが私達の抱えている医療の問題をよりよく解決するかと問われれば,おそらく解答はNOだ.安定した結果を分け隔てなく達成するには体系化が必要で,卓越した技術と能力に依存することなく,普通の多数が多くを安定して解決する方が全体を最大化できる.「診断基準と診療ガイドライン」は効果を全体において最大化する為の道具なのだと*8.
臨床実習で生き生きとする多くの同級生と自分を比べて,わくわくしない自分に向き合っていた.当時,診断基準と診療ガイドラインがある理由を理解できなかった私は,結局,臨床医学や医療をフィールドに選ばなかった.自分が何も生み出さない危機感を抱き,何ができるかを考えて,自分の得たいものが何かを見定めようとしていた.