オンライン・プロ野球・うどん屋

来年度の非常勤の依頼が来たので返信したが,新幹線に乗って現実的に移動しなければならないのかな,と思うほどに,この二年間で環境が変わった*1.ヒトが山ほどいる街にわざわざ行かずに参加できる,オンラインのシンポジウムをモニタ越しに見ながら聞きながら過ごしていたとき,私と同年代の演者が,自分をシニアと呼んでいた.「そうだよねぇ」と,つい独り言をいった.

 地元で開かれたクラス会で,10余年ぶりに中学の友人に会ったとき,昔からのシャイさはそのままだった彼はプロ野球選手で,背番号は「2」.その時に既に100本以上の本塁打を打ち,月間MVPを一度取り,年俸は大台を超え,外国製の高級乗用車に乗っていた*2 *3
 「おまえ,すごいなあ」と声をかけたとき,「もうピークは過ぎたよ.これからのことが心配だ.うどん屋でもなるのかな.」と彼はいい,「おまえはこれからだよなぁ」と付け加えた.その時の私は博士課程の最終年次で,奨学金の返済額が600万あった.追加の実験と論文の書き直しにあえいでいた.
 あれから30年が経った.あのときセカンドキャリアを想像していた彼は,クラス会の8年後に引退してコーチになった*4.私はポスドクをして,大学の教員になった.研究と教育をしていて,シニアになった.あの時,彼が「うどん屋にでもなるのかな」と言ったように,私も何かになるのかな,と考えた.クラス会で会った時から彼が引退するまでの期間と,私がこれから大学で働く期間はほぼ同じだ.

*1:今年はオンラインで講義をしたから

*2:

ja.wikipedia.org

*3:

kapibarasenn10.hatenablog.com

*4:彼は40才で突然この世を去った.それはスポーツ紙の一面で報道された.私はその新聞を保存している.