まだ共有されていない問題の萌芽

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 朱鷺メッセ*1で開かれていた神経科学学会に行ってきた.タスクを考案して,オプトジェネティクスを適用し,回路機能を明らかにする様子は,homologous recombinationを使ってknock-out miceを次々と解析していった90年代の発生生物学会に少し似ていると感じていた.

 こんな雰囲気を背景にして,この流れも近い将来に変わっていくことを見通しているヒトがいて,機械学習(AI),コネクトーム,主観性などを取り上げて,将来に乗り越えるべき壁について自由に提示するシンポジウムが開かれ,ほぼ満席になっていた.これからの研究がどこへ向かうかと知り合いの院生間で議論したことはよくあった*2が,議論を組織して,シンポジウムにすることは昔はなかったなぁ,と感じていた*3.背景にはサイエンスの規模が一層大きくなったので,個人としてというよりも,研究が全体として機能する様相が増えていることが関係するのかもしれない.

 遺伝子改変動物解析の最興隆期に,興味深い表現型を同定して,派手な機能を明らかにするか,それとも冗長性の中でもがくか,偶然に左右されて喜んだり苦しんだりする人達がそこらにあふれていた.その頃,駆け出しだった私は,その雰囲気を肌で感じていた.その中においても,流れと距離を置いた研究をしたヒトはいたし,次のトレンドは傍流から生まれたのだ*4

 次のブレイクスルーは何?というシンポジウムのテーマとして提示された,誰もが共有する課題が重要なことに疑いはない.その傍らで,共有されていない問題の萌芽を既に宿し,解決を導くヒトが聴衆の中にいる可能性は大きい.そのヒトは心の中のアイデアを気安く表現したりせず,実現する機会を窺って,着々と進めていくに違いない.

*1:https://neuro2019.jnss.org/index.html

*2:その時に挙げていた5つの問題,神経系の細胞分化,脳の領域化,軸索ガイダンスと回路形成,経験に依存した改変,高次機能,は現在までにおおよその枠組みを済ませて,各論に入ったり,応用のステージに入っている.当時の考えは的を射ていた.

*3:忘れているだけかも知れないけれど.

*4:梅棹 忠夫「文明の生態史観」(1967)を思い出す.