倒れた碑・コミュニティ・表現型可塑性

道端の碑が倒れていた*1。1月1日の地震のためと思われた。側面には明治三十九年と読めるので、1906年、118年前に建てられたもののようだ。記念それとも祈念のために建てたのだろう*2

 記憶の保持と伝承が、碑をつくる目的の一つだろう。コミュニティの共同体としての意識を高めることもあるだろう。社会的・政治的な理由もあったかもしれない。碑が機能するためには、コミュニティが継続することが前提になろう。多様性が小さく、定常的な環境のもとで、碑が作られるのかもしれない。そこでは、特定の環境に特化した表現型が有利になる。これを作ったヒトは将来に碑の様子が変わることを想像しなかったかもしれない。

 碑が失われ、コミュニティが失われる確率を高く見積もるヒトが記念碑を作るとは考えにくい。もし彼らが、劇的に変更される動的な環境のなかにいたなら、碑を作るコストを生存コストに振り分けたかもしれない。

 環境の時間的空間的な多様性が大きいとき、異なる環境条件に迅速かつ柔軟に適応する高い表現型可塑性を持つ個体が有利になり、多様な環境に分布することができる*3

*1:ずっと気づかずにいた

*2:参考:日露戦争 1904 – 1905年

*3:https://en.wikipedia.org/wiki/Phenotypic_plasticity