モノと情報・オンラインオフィスアワー

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一昨年に緊急事態宣言で実習が二月間停止したことがあった.その当時は何かできないものかと思って,オンラインのオフィスアワーをmoodleメッセージで開き,やり取りした.広く使われているアプリとは違って,必ずしも使いやすいとは言いがたいインターフェースでも,家に閉じこもりきりの時期だったから,それはそれでやりがいもあった.

 それから一年半,Teamsを使い始めて,オンラインでオフィスアワーを開いて,春休みの実習の相談に二人が訪れたが,実に自然.すっかりこれでいいと思えてくる.必要な情報の移動が,「物(ヒトの身体)」の移動を置き換える.情報と「物」の間のどこかに境界はあるか?情報の次元や量を増やすとリアルに近づき,さらに境界はなくなりリアルになると想像することは可能だ.コロナ禍における代替教材をP社が販売しているが,それは黎明期のADAMとかを思い出させるが*1,これでreplaceするのはのんきすぎる.リアルに学ぶ必要がない分野で,見学的に使うためのものだ.リアルを超えるものは*2ない*3.私達の関わっている実習は,リアルがあればこそだ*4

*1:驚き!ADAM,まだあった!

*2:「まだ」なのか,それとも「これからもずっと」なのか?

*3:メタバースが探している臨場感とか没入感をつくるアルゴリズムがどのような形で,いつ,実装されるか?

*4:「リアルでない実習」という表現は矛盾である.