「考えること」と「実験すること」

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院生の時に実験手技を教えてくれた人(A)は,考える前に手を動かす人だった.その結果,コントロール実験が不足していることを見逃して,クオリティの低い事になるか,幸運なときにはまわりの誰かが気付き,最初からやり直したり,後からばたばたと追加していた.

 ポスドクの時の同僚(B)は,アイデアがまとまって,想定する道筋が見通せるまで,実験を行わなかった.彼は研究所に現れると,デスクやベンチでペンを持ってなにやら書いたり,消したり,論文を読んだりしていた.オープンな人だったから,他と議論して,良い指摘をするのだが,ほとんど実験しなかった.そんな彼がしばらくして「この実験は大きなゲインをもたらさない事が分かった」といって1年ほど考えていた計画を白紙にして,実験を止めてしまった時にはたいそう驚いた.

 今から思うと,Aは自分の使っている実験手技が好きで,コンテンツは後から付け加えるタイプだった.Bは技術には思い入れを持たないタイプで,実験せずにすむなら,それで良いと思っていたのかもしれない.けれども,考えるのは行動する為の手段だろうから,考えたあげく止めてしまう選択肢は私にはない.別の道筋を見つけるまで,もっと考える必要があるだけだ*1

 ぼんやりとした考えを携えて,藪の中に分け入らなければアイデアを得られない時も有る.けれどもアイデアを持って藪を歩かなければ,見つけられない道筋がある.それが分かっていても,藪の中で道を見つけられないことがあり,一見良さげなアイデアに引きずられて,道に迷って騙されることもある.あらかじめ全てを見通すことは*2できぬ*3.何が良かったかは事後に分かる*4

*1:残念な事だがそんな事もあるかも知れない.

*2:不完全な私には

*3:でも,それをあきらめない.

*4:そしてそれを受け入れる.