負の頻度依存性選択,文明の生態史観と梅棹忠夫

先日*1から,梅棹忠夫*2の「文明の生態史観(1967)」*3のことを考えている.梅棹は社会や文明の変化や発展の背後には法則性があると考え,文明が発達した中心があり,その辺境から次の文明が生まれてくることを生態学的に論じた.

 辺境で生まれたあたらしい国家が栄え,それが環境の変化を導き,「(いわゆる)適応度地形」の変更につながり,更に繁栄が遷移していく.minorityが栄え,majorityに取って代わる様子は負の頻度依存性選択*4に似ている.Clarke*5が負の頻度依存性選択の礎となるapostatic selection*6を指摘したのは1962年である.それに梅棹が影響を受けたのかは分からない.同じような時期に多発的なブレイクスルーが生じることは度々おきることが知られている.

 "Evolution (Futuyma)"*7を読みながら,昔々に読んだ梅棹を思い出していた.親友のT君*8が話す「文明の生態史観」と「知的生産の技術」を聞いて,この2冊を手に取ったのは中学の頃だった.

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