著者らは主観性があらわれることを意識(感覚意識)と設定しており,そこには参照性・統一性が有ることを仮定して,それを表象する,topographic map(著者らはisotopic mapと言い換えている)が重なっている(統一されている)構造の進化,が認められる時点をもって,意識の進化の発端と論じている.その様な場所は視蓋であるから,視蓋が現れる時点を意識の進化の発端としているが,これは必要条件と十分条件を分けて考えていない.だから,彼らの言うとおりにヤツメウナギが発端だとしても,それは視蓋が進化した発端であったということ.マップの統合が主観性の必要条件だと認めても,十分条件を示してはいない*2.
リベットの実験(準備電位)*3を論ぜずに,意識の進化を論じることはできないと,ずっと思わせておいて,最終章で「最も基礎的な意識(感覚意識;進化の初期段階の意識)について論じているので,意識の全ての局面特に高次意識の進化について論じているのではない」と述べる著者はフェアではない,と思ってしまった*4.