マイヤーのループ

神経解剖学実習の最終日に,外側膝状体後頭葉を結ぶ神経線維の写真が載っているアトラスを実習台の脇に置き,視放線を探すことに熱中していたのがO君だった.何やっているんだい,という他の班員に,「写真で見るだけじゃあダメなんだよ,実際にこの手で触ってみたいんだよ」と組織を少しずつ取り除いて,線維を出そうとしていた.けれども,どの程度まで進むか戸惑いながら苦労していたので,私は少し遠くから横目で見ていた.O君,それだよ,外側膝状体からの神経線維が前外側に向かって出た後に湾曲して後方に向かい後頭葉までつながっている,それがマイヤーのループ(Meyer's loop)だ*1.そこで止めるんだ.彼が見せたのは見事な視放線(optic radiation)だった.

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Schematic drawing of the human visual system. (A) Right- and left-hemispheric fiber pathways. (B) Left-hemispheric optic radiation comprising the anterior bundle termed Meyer’s loop (yellow), the central bundle (green), and the dorsal bundle (blue). LGN, lateral geniculate nucleus.

*2

 視放線が白質の中をどの様に走行しているかを,立体的にイメージすることはそれほど簡単ではないけれど,彼がつくった標本を一目見れば,その疑問は氷解する.実習台の間をうろうろしていて,「視放線よく分からん」という声が聞こえたから,O君を呼んで説明してもらおう,百聞一見にしかずだよ,とアドバイスして,彼を呼んだ.O君説明してよ.
 「他のヒトに説明するのは大変だな,びびるなあ」と彼は呟いてから,外側膝状体を探し出し,そこから説明を始めた.理解した内容を表現する時に選ぶ言葉に悩む.間違い避けようとして慎重に言葉を選ぶ.単純化すると嘘が混じることに気がつき,それを避けようとして,話す言葉がゆっくりになる.それでもわかりやすく伝えようとして戸惑う.教えるときにびびる.
 O君,君は正しい.正確に伝えようとすることは高い認知機能を要求するし,そのエネルギーコストは大きい.認知機能コストを切り捨て,内容の次元を落として単純にして断言すれば,表面的にすっきりした印象を相手には与えるけど,それは安易だし,嘘だ.自分の考えを思うままに好きなように相手に投げつけるのではない.情報を伝える側と受け取る側の間の着地点を探して,そこに辿り着くものなんだ.

 

*1:

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Adolf Meyer (1866–1950) Psychiatrist, born in Zuerich.

*2:Hofer S, Karaus A and Frahm J (2010). Reconstruction and dissection of the entire human visual pathway using diffusion tensor MRI. Front. Neuroanat. 4:15. doi: 10.3389/fnana.2010.00015 http://journal.frontiersin.org/article/10.3389/fnana.2010.00015/full