通勤のさなかに、同じような時間に移動する仕事の車と出会うことがある。
ときおり行き合うシルバーのワンボックスのリアウィンドウには「桜」「土」「木」という大きな白い文字が、明朝体で書かれている。それぞれの文字が独立して眼に入ってきたので、土がおおう丘の上に、一本の桜の木が立っていることを思い浮かべて、春には咲くのだろうなと、想像していた*1 *2。
もちろん、それは仕事の車で、会社の名前が書かれているだけだ*3。それは三春滝桜のようなものではなく、私が勝手に思い浮かべているだけだ。その時の私のなかにあったイメージが「桜土木」の名前に投影されただけ。
意味なんて、受け取る側がその時の気分で好きなように与えて、都合の良いように解釈するもの。いつも聞いているラジオ番組でリスナーが寄せたメッセージの中で「ライブに参加させていただく」という言い回しを聞くことがあるが*4、観客が同一化する自分の望みをアーティストに投影しているのだろう。「推し」のアイドルには自分の望みを写すのだろう。
それでも、その車に会うといつも同じように丘の上の桜を思い浮かべて、大学に着く。それはそれで幸せである*5。桜土木、それは最近の私の推し。